基本的人権を人類に認めるならば、刑罰は別として、死なねばならない人間はいない、はずだ。
なら私が死ぬべき理由は刑罰なのか? 何の?
無様に生きていることが罪であるならば、公共の福祉というものは何の為にあるんだよ。生きていていいからあるんだよ。
迷惑をかけている/これからかけることが罪であるならキリストは何のために死んだんだ。別に私はあのあんちゃんを信奉してないけど。
資本主義社会のこと私は結構好き。
本来不確かなものごとの価値というものにひとつの基準をつくり、いや基準器というもの自体はありふれているんだけど、その基準器は簡単に変動するにもかかわらず、デファクトスタンダードとしての強固さがある。のが好き。
現代において、価値という基準器は変容するものだ。だからそれによって人間の生存を左右するのは適切ではない。
祈り/契約/信仰としての基本的人権は、生きていたいという人間共通の叫びだったんだと思う。
私の価値観においては私の生存が必須でない。という所に、私が死ぬと多額の収入が発生するという可能性(裁判からの慰謝料)を突きつけられると、天秤がぐらつきますよね。という話なのかもしれない。じ、自他境界……(他者の幸福を自分の損得勘定に含める性質の失敗例)