ToxReplica

偽毒

他者の情報量を察するには(結論は特にない)

読み手とか会話相手の持っている情報量を察するの、難しい

まあ誰だって簡単ではないと思うんですが(過度な一般化)、まず自分が何を話したか覚えておくことから始めないといけない。

私は自分の脳内の思考にプライバシーがあることを信じていないので、私の考えていることはすべて相手に伝わっている、と思ってしまいがちだ。

でもそんなわけないだろ?

文章の場合

文章の場合は書いたことの管理が楽で、過去ログの参照も可能であるケースが多い(弊社調べ)。

会話の場合

議事録や録音があるならともかく、日常において大抵そんなものはない(弊社調べ)。

まあそれが気楽であるという考え方もわかるのだけれど、記憶のあいまいさというものは別の緊張を生む。少なくとも、私にとっては。

生存を許す論拠

基本的人権を人類に認めるならば、刑罰は別として、死なねばならない人間はいない、はずだ。

なら私が死ぬべき理由は刑罰なのか? 何の?

無様に生きていることが罪であるならば、公共の福祉というものは何の為にあるんだよ。生きていていいからあるんだよ。

迷惑をかけている/これからかけることが罪であるならキリストは何のために死んだんだ。別に私はあのあんちゃんを信奉してないけど。

資本主義社会のこと私は結構好き。

本来不確かなものごとの価値というものにひとつの基準をつくり、いや基準器というもの自体はありふれているんだけど、その基準器は簡単に変動するにもかかわらず、デファクトスタンダードとしての強固さがある。のが好き。

現代において、価値という基準器は変容するものだ。だからそれによって人間の生存を左右するのは適切ではない。

祈り/契約/信仰としての基本的人権は、生きていたいという人間共通の叫びだったんだと思う。

私の価値観においては私の生存が必須でない。という所に、私が死ぬと多額の収入が発生するという可能性(裁判からの慰謝料)を突きつけられると、天秤がぐらつきますよね。という話なのかもしれない。じ、自他境界……(他者の幸福を自分の損得勘定に含める性質の失敗例)

文章の練習をしたい

文章を書きたい。具体的にはトランスペアレント・アンノウンを書きたい。いきなりそれは贅沢か? なら短編からでもいい、何かを書きたい。でも何を? というか日頃文章を書かなすぎではないか? 無い腕がよけいなまるのでは? というわけで日記である。

と言っても物理の出来事を書くのは性に合わないので、じゃあ何を書くんだとなる。何だ。わかるかよ訊くな。