ToxReplica

偽毒

おにっき

親父様の死への整理の付かない感情

私が亡き親父様へ親愛の情を持っていたかというと、たぶん無いと思う。 親父様への恩は多大にあるが、具体的な見返りを期待されてはいなかったと思う。 もう殺してくれと繰り返すほど苦しみ呻き、やがてそれも出来なくなり、果てに命を失って、そんな最期だ…

変化なくメンがヘラっている

義務感で生存をやっている やりたくないことを義務でやっていたら、おつらいの当然だわよ(気付き) ゲーム依存など娯楽で日常の苦痛をごまかしている まあみなさん多かれ少なかれそうだとは思いますが、その娯楽享受能力すら下がって来ているんだよな。加齢…

パンダの距離のさみしさ

恥を感じた記憶がない 誇らしく感じた記憶もない 「生存権の重なる」「近しい同類」がいない それは他人に嫌われない理由でもたぶんあるのだけれど 敵になりえない遠さ 太陽や月や星々だけが見ていたとして、裸を晒して恥ずかしいか? 露天風呂は? 動物園の…

私の利己主義について(初出twitter)

私が誰か他者を心配したとして、イコール迷惑をかけられている、とは思いません。私が何かを心配するかどうかは私の決めることです。たとえその決定が受動的なものだとしても、私の意思は私のものであって欲しい、と私はいつも願っています。 私は利己主義者…

他者の情報量を察するには(結論は特にない)

読み手とか会話相手の持っている情報量を察するの、難しい まあ誰だって簡単ではないと思うんですが(過度な一般化)、まず自分が何を話したか覚えておくことから始めないといけない。私は自分の脳内の思考にプライバシーがあることを信じていないので、私の…

生存を許す論拠

基本的人権を人類に認めるならば、刑罰は別として、死なねばならない人間はいない、はずだ。 なら私が死ぬべき理由は刑罰なのか? 何の? 無様に生きていることが罪であるならば、公共の福祉というものは何の為にあるんだよ。生きていていいからあるんだよ。…

文章の練習をしたい

文章を書きたい。具体的にはトランスペアレント・アンノウンを書きたい。いきなりそれは贅沢か? なら短編からでもいい、何かを書きたい。でも何を? というか日頃文章を書かなすぎではないか? 無い腕がよけいなまるのでは? というわけで日記である。 と言…

困惑

これは私が思考を整理するためのエントリです ひたすらに自分語りでありそれ以外の要素や意図を含みません。 概要 メンバーの事件とグループの言動およびそれらへの報道や言及を見ていると私が心中穏やかでない、つらい、胃と頭が痛い わからない 私が今見て…

前回の記事を和訳してみた

前回までのあらすじ -> https://toxreplica.hateblo.jp/entry/2017/08/05/213457 生きるとはつまりどういうこと? 私の報いたい親父様、が求めていたであろう、「私の生存」の要件定義がわからない 現在の私の在り方は、親父様の求めていたであろうものとは…

生きるとはつまりどういうことだったのか、自分のものと他者のものを比べても仕様のないことだとは思うのだけれど。 戻らない変化とそれでもそこにいることは、それはつまり生きているということに含まれるのだろうか? 例えば過去の私はもういないが、今の…

具体性がない。意味がない。価値がない。価値はある。何かに流用する気がする。絶望にも価値はあるのだ、それは役に立たないという意味で役に立つ。価値に疲れた人がそれを求めることがある。螺旋状に毎度同じことを考えている、気がする。価値こそが彼らを…

言葉が意味が指向性が。志すことを諦めたわたしは。 音楽は手段ではなく目的だ。 どこにもわたしがいない。 中間の、理解できない論理と、不可解な肉体との間、にあるわたしが、いない。 狭く苦しく息ができない。三半規管が暴れている。

自分の見聞きするものしか見聞きできないという絶望がある。 共感の範囲外には共感できない、という絶望がある。 何を愛し何を愛さないか、その取捨選別こそが個であることなのなら。 何も捨てられないという、何かを捨てることを捨てている、その矛盾。 私…

頭がぼうっとする。 いつものこと、ではある。 集中力がいつにもまして無い。 三歩歩いたら忘れる、が笑い事ではない。

空が天青石の色をしていた。秋だなあと思う。 薄い雲が太陽を覆うと良い感じに例の石に似てくるのだ。 セレスタイトを好きになったきっかけは忘れた。空の青色に傾倒していた時期があったので、その名残かもしれない。 意味に固執しているのは、世界ではなく…

夢を腐らせた。 見ていたのは自分の力で考えられる程度の夢でしかなく。 夢を夢に見ることですら、夢を穢すことになるのだろうか。 私の理想の中に、私の居場所は、ないのだ。 それでも生きていたいのなら、格好悪く生きることを肯定した方がいいのかもしれ…