ToxReplica

偽毒

具体性がない。意味がない。価値がない。価値はある。何かに流用する気がする。絶望にも価値はあるのだ、それは役に立たないという意味で役に立つ。価値に疲れた人がそれを求めることがある。螺旋状に毎度同じことを考えている、気がする。価値こそが彼らを支配している。ひとつひとつの言葉の間に関連性などあってはならない。あると私が傷つくからだ。眼差しの移動、瞬き、手のわずかな動き、それらが私を支配していた。言葉はほんの少しで良かった。だから言葉は悪くない。価値が、価値に支配されることに疲れた彼女は、しかし価値を作る側になる余力はなかった。価値に眠りを壊された彼は、だから価値で、終わらぬ昼を慰める。知っている、言葉にならないものに価値があるとしたのは他ならぬ私だ。夢を見ていた。いまも見ている。ならば現実とは何だ、まぶたの裏に昼が描いてあればそれは覚醒していると呼べるさ。双子が幼かったころ。そうそれだ、私はきっとその話をしていた。あの子は泣かなかった。ただの一度も。泣いていたのは双子ばかりだ。あの子が泣いてくれないし、双子は泣くことに慣れていなかったから、双子の落涙は出血に似ていた。特別であれと作られて、特別であるために痛みを耐えていた双子。そんな子供は周囲にたくさんいて、だから痛みは特別さを剥がれ、しかしそれを認識したのは何年後だったか。その中で、ただ一人、痛そうにしていなかったのがあの子だ。見ているだけで双子は痛くて、しかし目を逸らせば目蓋の裏がきっともっと痛いのは明らかだった。知りもしないのに明らかだった。ついぞ目を逸らすことは、なかったのに。ある時ある子供が、門を乗り越えて逃げようとした。一度は逃げていった。屍になって戻ってきた。それまで、壁の存在を意識すらしなかった。奪われている認識の多さにため息をつくことはしたが、それだけだった。逃げる気は無かった。外が良いものだという気が微塵もしなかった。けれどあの子は。あの子は血を流さない。あの子は体中に針を刺され、目玉の奥が光って、指先から水が流れ、それでも、泣かなかった。けれどその内死ぬ。減ってきた同胞たちのように。いつか死ぬこと、それが唯一の現実だとして、しかしそれは当然のこと? だから。だから双子は、あの子を、連れて、逃げ出した。森を抜けると街があった。初めて見たけれどわかった。ひとが双子を見ると気持ち悪がって、なるほど僕らには意味が、つまり知覚される魂がないのだという実感を得る。どうにか雨風をしのぎ飢えをしのぎ、遠ざかっているのかどうかも判らない逃避行。けれど何かが足りなかった。あの子は確実に、何かに飢えていた。何に飢えているのかは明らかだ。命、魂、心、つまり価値。それに飢えるということがあるのだと、双子たちは初めて知った。分け与えたくとも双子にはそれがない。あの子は飢えていて、ならばどこからどうやって? 帰る? そして死ぬ? 惑うているうちに双子らは連れ戻され、元通り? いいえ違う。やがてあの子は失われる。生物が代謝によって生きていくのと同じこと。命を抜かれ、入れ替えられたあの子はもはやあの子ではない。やがて来るはずだったその時を、双子が早めた。最後の晩。双子の片方は、あの子を連れ出した。脱走ではなく散歩。あの子が双子の片方を連れ出した。泉の前であの子は振り返って言った。僕は明日も笑えると思う? それだけを言った。けれどわかった。明日も笑っていたとして、それは果たして僕なのか、と。あの子は問うていた。私は。私は彼に生きていてほしかった。たとえ変質してしまっても。彼のようなものが欲しかった。彼の心を殺しても。だから私は、答えた。それを聞いて彼は、嬉しそうに笑った、その瞳の色、泉の色、月の色、夜の色。それがいまも未だ、現在までずっと、目蓋の裏に焼き付いて離れない。やがて太陽になった、彼の色が。目蓋の裏に。