私が誰か他者を心配したとして、イコール迷惑をかけられている、とは思いません。
私が何かを心配するかどうかは私の決めることです。
たとえその決定が受動的なものだとしても、私の意思は私のものであって欲しい、と私はいつも願っています。
私は利己主義者であり、私の行動のすべては私のためのものです。
他者の影響を受けることが多々あるのは、私が他者と関わりながら生きていく以上、当然のことです。
私の何かが利他的に見えたとしても、私から見ればそれは私のための行動です。
他者を利したい、という意志が自分にあったとして、その意志を自覚して遂行すること、が私にとっての他者への誠実さである、と私は信じています。
ただこの利己主義には欠点があり、自尊心が低まると、行動のすべての起点が影響を受け、たちまち寿命がマッハ(ブロント語)